新作エヴァンゲリオン劇場版の製作ドキュメンタリーを見た感想。
庵野さんは作品に思い入れはないそう。そして絵コンテが嫌い。そんな冒頭で始まり、製作現場にも顔を出さなかったり、来ても仕事しなかったり投げやりだったので「あれ??」って感じだったけど、後半その真意が明かされていくって構成で面白かった。
以下、視聴メモ。
新作エヴァはモーションキャプチャーで構図を探っている。カメラを自分で持って撮るよりは他人に任せた方がいいという。自分でやると全部自分でやりたくなる。
そうすると自分の頭の中以上のものが出てこない。想像でやるんだったら最初から絵コンテ描いた方がいい。その人の外にあるものを表現したい。(おかしいけどわかる。)
肥大化したエゴに対するアンチテーゼかもしれない。一旦は人に任せるが結局は庵野が塗りつぶしていく。スタッフでさえ読めない庵野の発作的衝動。「こうなった方がいいのに」って思った瞬間クリエイターになっちゃうそう。
プリヴィズという作業でモーションキャプチャの映像などを編集して完成状態をシミュレーションする。庵野にそれを任されていた監督は頭を抱えていた。アングルが膨大な上に初めての作業で進まなかったそう。
結局庵野は自分で最初から構成し直す。
「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきている」から今回取材を受けたという。人々を置いてけぼりにしないように。アニメ製作は胸を張れるような商売じゃないと本人はいう。
その後、庵野は編集室に引き篭もった。スタッフに高いハードルを科してきた以上自らも高みを目指さなければ。作業は連日深夜まで及んだ。
メインスタッフに任せて9ヶ月かかって作ったAパートを「あんまりうまくいってないなら作り直そうかな」とメンバーを集めての会議で言い始めた。脚本からやり直すという。Aパートの必要性も含めて考えたいそう。
作品至上主義。自分が中心にいるのではない。自分の命より、作品。
庵野が師と仰ぐ宮崎駿さんは「庵野は血を流しながら映画を作る」といったそう。妻の安野モヨコさん(漫画家、2002年に結婚)が語る庵野は仕事ばかり。生活を放棄している。肉や魚を一切食べない偏食家。知らないものに対する警戒心が強い。昔はお菓子ばかり食べていた。
1960年生まれ。家族で遠出した記憶があまりない。父は仕事の事故で足を失った。世の中を憎んでいたと思うという。
庵野はずっと何かが欠けていたそう。そこでテレビに夢中になっていった。鉄人28号が好きだった。ロボットとかを描いたら必ず腕とか足がないのを描いていた。全部が揃っていない方がいいと思っている感覚があるのかなと。そういう親を肯定したい、書き続けたいという。
高校卒業後、大阪の芸大へ。その頃にはプロ顔負けのアニメを描くまでになっていた。爆発を描かせたら天才だと手塚治虫も技術の高さに舌を巻いたという。23歳の時に宮崎駿に出会った。
「見た瞬間にこいつは面白い。宇宙人がきた」と思ったという。風の谷のナウシカのクライマックス、巨神兵の爆破シーンを任せたそう。スタジオに住みついて一日何時間仕事してたんだろうって。28歳で監督デビュー。ふしぎの海のナディアなどを手掛けた。
33歳の時にエヴァを作った。自分の全てを作品に描いた。本来完璧なはずなのにどこか壊れているのが面白い。綺麗に作っても面白いものにならない。「欠けているから、愛おしい」
当然のように、その現場は常軌を逸したものになったそう。覚悟と勢いと仕事の密度で取り組んでいた。監督部屋から帰ってなかった。でも肉とか魚を食べないからしばらくは臭くないそう(周囲の話)。
その後、製作が追いつかなくなった。結果、ラストは線画で終わった。多くの憶測を与えたエンディングとなった。一部のファンからは庵野は作品を投げ出したとアンチがあった。
「庵野の殺し方を話しあうスレッドがあって、それを見た時にもうどうでもよくなった。アニメを作るとかもういいやと。電車に飛び込もうとか、会社の屋上から飛び降りようとか。でも痛そうだからやめた。」
庵野秀明
そんな庵野に手を差し伸べたのがプロデューサーの鈴木敏夫さん。スタジオジブリのプロデューサー。2000年に実写を撮ってからアニメに戻ってきた。でもアニメを作るとエヴァの二番煎じになってしまう。自分が面白いと思ったものを全てエヴァに注いでしまった。
庵野はエヴァンゲリオンから逃れることからできなかった。決着をつけるべく映画を作ることにした。だけど3本作って新作に乗り出した時に恐れていたことが起こった。うつ病になってしまったそう。
「いつも仕事仕事っていうけど、いや別にお前がやりたいだけだろって私は思っているんですね。それは私もそうなんですよ。でも、好きなんだと思う。やっぱり。何かを作るのが。」
妻 安野モヨコ
4年の歳月を経て再びエヴァンゲリオンに取り掛かった。もういいかなとは思えなかったそう。作れないけど、作りたくないにはならなかった。始めちゃったんで終わらせる義務がある。庵野は正直すぎるほど正直な人。剥き出しの魂故の痛み。でもだからこそその映画は人のここをを打つ。
「自分の状況と作品がリンクするからポジティブな方向にいくので。自分の中にそれがないといけない。」
2018年12月になっても順調ではなかった後半1/4のDパートが進んでいなかった。周りが全然理解できていなかった。庵野は脚本からやり直すと宣言した。スケジュールがズレこんで焦る周囲。2ヶ月がすぎても脚本は上がってこなかった。時間がかかってもいいとは思うけど、商売である以上タイムリミットがある。仕上がらないまま前半のアフレコが始まった。
(厳しい指摘からスタッフの苦労を描いて、仮眠を取る何人かを写したあとで)映画の監督に必要なものって覚悟だけだと思うので。全部自分のせいにされる覚悟があるかどうか。満足しないっていうこと。ずっと探っていきたい。もうこれで決まったからここまでっていう風にはしたくない。」Dパートは2019年3月後半に完成。5月いっぱいでDまで揃ってないと間に合わない。
監督 鶴巻
「庵野にも重荷なんじゃないですか。やっぱり完成しなかったじゃないかとか言われたり、何年でも待ちますって言われたりするのが。早く踏ん切りをつけたいという思いがあるのでは」
追い込み、追い込まれた四半世紀が終わる。25年分のさよならを込めて「さようなら。全てのエヴァンゲリオン」
2020年12月17日に完成。
完成試写会は毎回見ないそう。完成したら次の仕事しないといけないとのこと。
あなたにとってプロフェッショナルとは?
プロフェッショナルという言葉を考えたことがなかった。あまり関係ないのでは。この番組のタイトルは嫌い。他のタイトルにして欲しかった。